このページは、全国鯉釣り協会(略称、全鯉協)東日本ブロックから、『全国鯉釣り協会』会報の利用許諾(2次的創作・利用の黙示の許諾を含む)及び会員からの投稿記事を受けて作成しております。
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「幻」だったアオウオは、今
全国鯉釣り協会 東日本ブロック
会長 坂入 一敏
今から30年ほど前になるだろうか、坂入が千葉県佐原市周辺の利根川に通い詰めていた頃の話になるが、佐原市に架かる水郷大橋周辺でごくまれに「アオウオ」なるものが釣れていた。
当時はエサと言ってもアオウオ専用はなく(食性も解明されていなかった)、蒸かしたサツマイモの角切りや当時流行っていた舟和の芋羊羹などをエサに鯉を狙っていて いわば「外道」(オマケ)として釣れたものであった。
しかし、その巨大で美しい姿と大きさゆえの引きのよさ、滅多に見ることが出来ない希少な魚であって、狙って釣ることなどできる状況ではなかった。その当時から釣れればデカイ、120cmは超えると言われていた。
あるとき佐原市の愛好家が150cm台を釣ったのを坂入は目撃した。
忘れもしない5月の連休だった、佐原市の町を流れて利根川(通称、本流)に注いでいる小野川の吐き出し口の左手で水深1メートル位の浅場で釣れ上がったのである。
釣れたとの情報を聞き急いで駆けつけ、アオウオを見たときの感動は今でもはっきりと脳裏にインプットされている。
アオウオがキープされている現場に着いたときには丁度リリースしようとしているその時だった。すでに魚拓をとる用意などがされていて何人かの仲間に見守られながら魚拓に写された。その後一旦はロープに繋がれたがリリースすることになり、ロープから解放された巨大なアオウオは、ゆっくりと沖に向かって泳いで行ったが岸から離れて行くその姿は坂入にとっては潜水艦のようにも見えたのを昨日の事との様に記憶に焼きついている。
それからというものは毎日のように佐原参りが続いた。
店がある関係で片道100kmをひた走り、家には仕事に帰るだけで3日連続は何度もあった。さすがに当時30歳台の坂入も3日目にはグロッキーで家に寝たが、毎日がアオウオのことで頭が一杯であった。当時からそれほどに釣り人を狂わせる魅力のある魚なのであった。
クラブでも80cm台の鯉を釣れば年間賞候補といわれていた時代に150cmは想像の域をはるかに超えていたことはご理解いただけると思います。
その後、幾年かのときが経ち、カラス貝でアオウオが釣れるのを発見したグループがあって、利根川本流の長豊橋(国道408号線)周辺で何本かずつ釣れだした。そのときのアオウオ釣りのリーダー的存在だったのが現在の全国鯉釣り協会東日本ブロック、会長代行の「都築春海」氏だった。
平成3年の全国鯉釣り協会正式発足の年にアオウオ160cm、50kgオーバーの超大型を見事に釣り上げ、アオウオの部で年間賞を獲得したのである。
会長坂入も107cmの鯉を釣って鯉の部で年間賞を頂いたが今にして想えば協会発足の元年に正副会長二人で年間賞を獲れるなんて運命的なものを感じるものでした。
アオウオ釣りの新時代か
時は2008年、アオウオは急激に増えてきた。
霞ヶ浦、北浦、ワニ川、常陸川などでメーターに届かないようなサイズのアオウオがアチコチというよりは何処でも釣れるような状況になったのである。霞ヶ浦の漁師のアミにさえアオウオが入るような時代が来たのである。
埼玉の水産試験場で利根川に放流事業もしていたが、現在の増え方はそれくらいのレベルでは考えられないほどのアオウオが何処にでも生息している。
埼玉県の水試が行っていた放流事業で種魚を放流していただいた功績は感謝に耐えません。そのお陰もあって現在の状況があるのは明白である。
しかし、これほどまでに増えたには別に要因があると思います。産卵期の梅雨明けごろの通常7月上旬〜中旬に上流で大雨が降って増水したとき利根川の埼玉県栗橋周辺でレンギョの産卵シーンがテレビなどで放映されているが、そのときに見落とされているが実はアオウオ、ソウギョも時期を同じ頃に産卵しているのである。
そしてアオウオの大繁殖、アオウオは約4年くらいでメーターに達するといわれている。ということはアオウオにとって4〜5年前に何らかの条件(気候による、雨量、水質、水温等等)が揃い、孵化率(または産卵率)が高まったと考えるのが正しいのではないかと思える。
昔、坂入が中国釣行の際、現地(揚子江の河口「上海」から上流に約500kmの都市「あんけい市」)の水産試験場に行って淡水の大物(アオウオ、ソウギョ、ハクレンなど)の養殖場で産卵、受精と養殖事業をしているところで見学した。
説明を聞いたときに次のようなことを聞いた覚えがある、いわゆる当たり年があったと考えられる。
採卵、受精は人工的であるが(現在の日本の鮭の養殖技術に似ている)、しかし孵化をさせる方法が大陸魚は違う。
なぜ産卵のために利根川を遡上するかにかかわってくるのだが、産卵受精した卵は川を浮遊しながら流れに乗って36時間から48時間かけて孵化をする。
つまり海に流れ落ちる前に孵化しなければならない。その分を親魚は約100kmを遡るのである。その工程を人工的に丸いタライのような直径5メートルほどの容器の中で機械によって流れを作り、孵化させるのです。稚魚の内は人工的なエサで育てて、その後には当時のことだが、養殖のエサにアオウオにはタニシ、レンギョには米ぬか、ソウギョには草を主に与えているとの説明を受けた。今にして想えばもっと詳しく伺っておけば良かったと後悔している。
(今にして想えばその当時から坂入はアオウオがタニシを食べる(好物である)ことは知っていたのだったが)
さてアオウオ釣りの話に戻るが、一般的には鯉釣り同様にいわゆるブッコミ釣りで向こう合わせでセンサーを使用して釣ることが多いのだが、そのところに変化が起きている。
なぜかといえば今までもそうであって気が付かないでいた。
(長くアオ釣りをしていた人は気が付いていたが)アタリで「ふわふわ」と竿先をゆする、つまりエサを銜えてもあまり動かないでエサを食っているのである。
鯉の様に一気に持って行くことが少ないのだ、現在ではほとんどの人がタニシエサでアタリセンサーを頼りに釣っている。
ところがエサのタニシにハリが付いているにもかかわらず、タニシだけが上手に食われているときが多いのだ。
学習能力が優れていての話か、もともとの習性なのか、アオウオ釣りのスペシャリストである都築名人に聞いたところ、大きいサイズは意外と向こう合わせで釣れてくるので食い逃げはおそらく小さいアオウオ(メーター前後かそれ以下)なのではないかとの答えでした。
坂入は自宅でアオウオを飼育していてタニシや市販えさの食べるところを研究しているが、タニシにおいては一粒ずつ噛み砕いて食べるのではなく なんと一気に(50cm〜55cmサイズの幼魚でも)中粒タニシを10〜15個を口に入れて食べてモゾモゾとやっているのだ。
大物になると30〜40粒は口の中に入れてしまうだろう、もちろん殻は吐き出すことなく噛み砕いてそのまま腹に呑み込んでしまう。ハリ掛りが良くないのはその口に一杯入っているタニシがジャマをしてハリがうまく口に刺さらないのではないかと考えられる。
市販のエサでも底にあるジャリなどと一緒に口に収め、エサとそうでないものを上手に振り分け硬いものは喉の奥にある咽頭歯で噛み砕いて飲み込んでしまうのである。食べる量においても厳しい自然のなかで生き抜く知恵として、食べるだけ食べ続ける、食べたものは半消化でも垂れ流すように排泄し、常に腹が一杯の状態に保っているのだ。いつ自然の変化、または驚異があっても対応(生存)できるように食べておく必要があるのだろう。
しかし自然の変化には人間が及びも付かないほど敏感に反応する能力を持っている。風向きが変わっただけでも気圧が変わっただけでも、または地中のマグマのちょっとした変動にも反応して身を守る能力を持ち合わせているのだ。釣り人は漁師ではない、ただ釣れれば良いだけでは釣りの奥深さは味わえない。
魚の習性を少しでも研究し疑問を解いてゆくことも釣りの楽しさであり、それを克服し想定した通りにヒットしたときに始めて「釣ったぞ〜」と感激を味わえるのである。
そうしたことを踏まえて、数の上では極端に増加してきたアオウオは超大物釣りのターゲットとして今後新しい時代がやってくるのではないかと予想される訳です。
最初にハリが付いた仕掛け(エサ)を銜えたときを見逃さないように「鈴(すず)」を竿につけ「チリッ」っと、かすかな音を聞き逃さずに竿を見つめていると竿先をわずかに「ふわふわ」とゆする、少し大きく竿先が曲がったときにすかさず「ガツーン」と強く合わせをくれてやる、そのヒットしたときの感動とランディングまでの引きの強さを味わったらアオウオの虜になってしまうだろう。
アタリセンサーを頼りにするのではなく心から釣ったと言えるような喜びを味わって欲しいものである。アオウオ釣りの新時代は私たちが築いてゆきたいものです。
「怖〜い、おじいさんとホームレスのアオ君の話」
昔、あるところに怖〜いおじいさんがいました。
おじいさんはおいしそうなパンを糸に結び付けて昼寝をしていました。貧しくて食べるものがない僕はおなかが空いてそのパンを食べたいのですが、チョットでも糸を引っ張ってしまうと怖いおじいさんは目を覚ましてしまい、つかまって殺されてしまうかもしれません。
それで僕は糸を動かさないようにパンを食べてしまおうと考えました。恐る恐るそ〜っと近づき体を動かさないでじっとしてパンを食べることにしました。こわ〜いおじいさんは気が付かないでいびきをかいて寝たままでした。おなかを満たした僕は遠くでおじいさんを見ていたら、目を覚ましたおじいさんはパンがないことに気が付いたようでしたが何もなかったかのようにまたパンを糸に括り付けて昼寝をしてしまいました。仲間にも食べ方を教えてあげてからは、みんなでそのパンを食べに行くようになりました!
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